車紋
平安時代、公家たちは、政を行うために朝廷に通っていたのですが、その時に使用されていたのが、牛車という、牛に二輪車を牽かせた乗り物でした。
朝廷に集まる牛車の数は多く、皆似たような造りであるため見分けるのが困難であり、それを解消するために付けた紋様が車紋と呼ばれるものです。
この車紋は、中国から渡来した図柄をもとにしたもので、武士が武勇に因んだものを好んだのと対照的に、草花や縁起が良いとされるものが
多かったようです。
これらの車紋は、他の公家に対するデモンストレーションの意味もあり、美的趣味を表現する手段でもあったそうです。
それは、やがて牛車に限らず、身の周りの調度品、正装する際に着用した束帯の袍や常用していた狩衣にも用いられ家紋へと発展しました。